Iriya’s lifelog

約束の日までの記録

怖い

人生の転機にさしかかり、おびえている。

降伏して手放しすことと、投げ出すことの違いがまだわからない。

きっと、自暴自棄ではなく、心穏やかに。

会社を辞めて1か月が過ぎ、毎日は静かに過ぎているのに

心は焦燥感があり、孤独があり、胸が痛い。

この痛みはまだここにあったのかと思う。

自分の望みについて考えている。

自分が怖いと思うことについて考えている。

多分その2つはおなじものだから。

私は、恥をかくことがこわい。

でも一体、何が恥なのだろう。

こうやって、生きてきたのだ。私はもう少し

自分を認めても良いかもしれない。

一人で家を決め、一人で仕事を決め、そりゃやめてしまったけど、

それでも生きてきたじゃないか。

会社という組織に私は向いていないなあと思う。

仕事ではなく、決まった時間にいくこと、

無駄と思うことに従事すること、

自分を殺すことに向いていない。

向いている人などいないのだろう。

怖いと思う自分を見ている。怖いと思うことを

せめて責めないでいられたらいいと思う。

 

今日は調子が悪かった。

そういうとき、ああ調子が悪いんだなあと自分で自分を観察している。

あんまり気分がよくないね、そうかそうか。

そうすると、昔、囚われていたときはつかまっていた不幸を

紙一枚でかわせている感覚があるから不思議だ。

突然たのまれた仕事(むちゃぶり)を別の人がやってくれたり、

電車に乗ったら目の前で人がケンカを始めたり(乗るのがすこしあとだったら

位置的に私が巻き込まれていた)

ああ、調子悪いからいろいろ変なことが起きるけど

それにつかまってしまったりはしないから、

上手いことかわせているなあとか。

麻雀とかで流れ、とかあるけど

人生にもそういうのはあって

長期的な流れもあるけど、1日のなかでもある。

調子が悪いときは観察してじっとしているしかないと思う。

気分転換に古本屋にいったら見事に閉まっていて

(今日から営業時間変更したらしい・・・)

やっぱり調子悪いなあと苦笑いして帰ったのでした。

 

LINEスタンプ

大事な人々の為に、といったらおおげさだけど

仲間の為にLINEスタンプをつくった。

リジェクトされたり、そもそも作るのも1日1個、せいぜい2,3個だったので

時間がかかった。

審査のステータスをなんども見に行ったり、

承認されたときなんて、嬉しくて走りだしてしまった。

リリースしてから反映までがもどかしく…。

なんか、こんなにワクワクしたのは久しぶりだ。

私の大事な人々にあげられるものが、いまはこれくらいしかない。

それでも、とても幸せだ。

しかも、あげたんじゃなくてお買い上げいただいたわけだが・・・。

 

最近、豊かであると思う。

本当に忙しい職場に身を置いていて、大変だったり辛かったりする。

みな自席や社内でお昼だけ急いで食べて戻ってくるのだけど、

私は1時間昼休みをとる。空気を読まずにとる。

だいたいカフェでコーヒーとホットサンドをゆっくり食べて

本を読んだりする。

今日は川沿いの並木道を散歩した。

あー、なんで気付かなかったのだろう。

いつの間になくしてしまったんだろう。

花咲いて、日差しは気持ちよく、子供たちが公園で歓声をあげている。

鳥が良く通る声で鳴いている。

30分に満たない、昼休みの散歩。それだけで心が満たされる。

 

平日夜たいてい6時にはあがれて、好きな街で待ち合わせして

気ままに道を選んで、二人でしゃべりながら歩いて帰った。

それがどれだけ贅沢で豊かで幸福なことか。

いまそれがやってきたら、幸福に圧倒されるかもしれない。

きっと泣く。

青い鳥じゃないけど本当に比喩でも何でもなく

日常に幸せはあって、びっくりする。

簡単に幸福になったり不幸になったりする自分に

人間というものに驚く。

 

今日は新しい人と友達になり、古い知人から連絡があり、

なにか大きな良い流れを感じていて、

あー、これはもう大丈夫だなと勝手に思っている。

仕事を辞めることにしてよかったな、と思う。

今の職場にいる間、精一杯がんばって

役に立てたらいい。

奇跡のはなし

今日聞いた話を、忘れたくないから書いておく。

 

いつも行く定食屋さんのお姉さんに、私は話した。

離婚したこと、転職したこと、今の仕事が辛いと感じること。

心細かったこと。

ひとりぼっちだとおもったこと。

私の家族の大事な猫がストレスで脱毛症になっていること。

この店に初めて来たとき、絶望という言葉しかみつからない気分だったこと。

料理が大好きだった私が、一人になって、料理をつくれなくなったこと。

そんなときに、あたたかいこの店の料理に救われたこと。

声をかけてくれるおねえさんたちや常連さんたちに救われたこと。

笑えるようになったこと。

今は会えないけど、いまでも大事に思っている人のこと。

 

お姉さんは私に話してくれた。

両親が亡くなったこと。

大好きな妹のこと。(お姉さんと妹さんは一緒にお店をやっている。)

両親を亡くして、私たちもう死んじゃってもいいね、と

妹と言いあったこと。

お店をはじめることにしたこと。

とても辛い出来事に巻き込まれてしまったこと。

 

「すごくつらかったけど、どうにもできなかった。

なぜだかわからないけど、とめられなかった。」

わたしがそういうと

「そういう流れ、みたいなものがあるからね。」

とおねえさんが言った。

「でも、私には必要なことだったのだとおもう」

と私がいうとおねえさんも、

「私もね、ものすごい辛いことに巻き込まれてしまったの。

でもね困った時にどこからともなく助けてくれる大人がやってきて、

助けてくれた。

こんなふうにいったら、オカルトみたいにきこえちゃうかもしれないけど…

まるで神様がレールをしいてくれているみたいに、

つぎつぎ助けがやってきて、このお店ができた。

だからね、乗り越えられないことは起きないよ。

すごいつらかったけど、だから今このお店があるし、

このお店があるから、あなたとも縁があって出会えた。

だからもしあなたが助けが必要なら、このお店には色々な人が来るし、

私は助けになってくれそうな人を紹介してあげられる。

きっと助けはくるから」

そう言って笑った。

 

そのとき、そういってくれるお姉さんこそが、

わたしにとっての助けてくれる大人だった。

私は笑っておねがいします、といってお会計をして店を出た。

帰り道、笑いながら泣いた。

 

昔、奇跡といったら死んだ人が生き返るとか、

輝く光の剣が悪を打ち倒すとか、不治の病が完治するとか

そんなことだと思っていた。

こんなにも身近に奇跡はある。

奇跡に溢れてる。

これから私は、奇跡を信じて生きようと思う。

 

 

 

 

 

 

つらいとき

いま、私はつらいです。

辛いとき、辛いのを認めたくなかったり、

それをなんとかしようとしてあがいたり、してしまう。

辛いのを理解してくれる人が周りにいないとき、

自分が辛いのを認めることがとても辛い。

それは、いじめられているのを認めるのが恥ずかしいとか

そういう感覚に似ている。

つらい事象そのものよりも、つらいときに孤独であることがつらい。

 

辛い時に忘れてしまうことが私にはあって、

それはあきらめると楽になるということだ。

つらいのはなにかをどうにかしようとしているから

つらいのだ。

気づけると一瞬だけだけど楽になる。

もうどうでもいいやーっ一瞬手放してみる、楽になる。

いやいやよくないでしょって騒ぎだす声がする、するとまた

つらくなる。

 

この繰り返しだ。

悟っている人ならいつでも、どうでもいいや、でいられるんだろうな。

どうせ、これも過ぎ去る。

家にいて、猫が鳴いていて、私はハーブティーを飲みながらこれを書いている。

今なら言えるんだけど。

会社にいて、まるで道に迷ったみたいに不安で、孤独で、

そういうときにも言えるといいと思う。

 

 

自由のこと

よく行くお店があって、そこで知り合った人々がいる。

年齢も、住んでいる世界も違う人々。

1年前の私なら、知らない人と会話なんて、とてもできなかったな、

と思う。

その必要も、なかった。私にとって必要な人はごく限られていた。

それが最近、人は面白いなあと思う。

自分の年の倍くらいの人と知り合いになるなんて、

本当に面白い。

知らない人と、別荘に一緒に泊まりに移行なんて話している。

 

逆に、組織というのは人をつまらなくするものだと思う。

どんな人も魅力的で面白い部分がたくさんあるのに、

そういうものを殺してしまう組織がとても多い。

 

心が自由な時間を増やす。

最近こころがけていること。

 

 

サラとソロモン

サラとソロモン―少女サラが賢いふくろうソロモンから学んだ幸せの秘訣kindleで無料で読めるので、読んでみた。実は以前にも読んだことがあるのだけど、

そのときはピンとこなかったんだよね。

今読んだら面白くて一気に読んでしまった。次の日に2巻と3巻も(こちらは電子書籍はないので)ジュンク堂でゲットしてきてこちらも1日でよんでしまった。

エイブラハムのシリーズも決して難しくはないのだけれど、表現が固くて慣れるまでは

いちいち語句の意味(許容し可能にする、とか)を確認したりしていたのだけれど、

子供向けにかかれているだけあってわかりやすかった。

そしてなによりしゃべるフクロウソロモンが萌える。

かしこくってかわいい動物とか萌え死ぬでしょ!

いや死は無いそうなんだけれども。

そして主人公サラはもちろん、2巻で登場するセス、3巻で登場のアネットもとても魅力的なキャラクターで、びっくりしました。

こういう物語を楽しむ以外の目的(この場合引き寄せを教える)をもった本って

純粋な物語じゃない気がしていて好きじゃなかったんですが

この本は好きだなあ。

出版社がちがっちゃっているので仕方ないけれど、1巻~3巻の装丁を統一してほしかったのと、巻数書いてほしい。原書の装丁は1巻のものらしい。どっちの絵も好きな絵なんだけど、1巻の絵の方があたたかみはあっていいかなあ。

2・3巻の絵もセンスよいのですが。

なんにせよいい本でした。